光陵高校野球部公式戦戦績

(53期、令和1年秋〜令和2年夏)


2年生6人、1年生7人の小所帯で「前へ」の目標を掲げて新チームスタート。 少人数ということもあり8月の新潟合宿は取りやめて校内合宿となった。 秋のブロック予選では県大会出場には届かなかったものの1勝をあげた。

ところが年明けから世界的な騒動となった新型コロナウイルスの影響を受け、 学校が休校となり春の公式戦の中止も決定。ウイルス禍は収まることなく、 4月7日に発令された国内全都道府県の緊急事態宣言(学校の休校も延長状態)は 5月25日まで延長。その間、戦後としては初めて、甲子園大会及び予選の 中止も決定するという、非常にインパクトの大きい事態に直面してしまった。 神奈川県高野連の尽力で代替としての独自大会(令和2年度神奈川県高校野球大会) の開催は決まったものの、長引く休校期間には部活動も停止。 選手たちは自宅周辺での孤独な自主練習に明け暮れた。 6月に学校が再開されたあとも部活動はすぐには再開されず、再開後も 日数や時間が段階的に緩和されるというもどかしい状況。個々のレベルアップと チームの成熟度向上を図るための練習・練習試合には大きな制限がかかった。

ようやく迎えた独自大会の一戦は、苦しみが大きかったからこその 野球をできるうれしさや仲間との一体感をより意味深く感じられる一戦とは なったようであるが理想の試合展開には持ち込めず、1試合での敗退となってしまった。

なお、夏の大会後に渡邊泰斗監督が監督を退任。宮ア哲生顧問が監督に就任した。
(25期、山口筆。)


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