2008年5月12日(月)、静岡県清水市三保の東海大学社会教育センター内の松前球場。
静岡学生野球連盟春季リーグ戦最終週。中央球界から遠く離れたこの環境で、
光陵高校野球部OBが、静かに、大学野球から引退をいたしました。
(※正確には引退は最終戦となった翌13日)
37期・峰野宏祐氏は静岡大学教育学部の4年生。高校時代には37期のエースとして活躍。 公式戦4勝3敗の成績も、右横手からのくせ球で強豪校との善戦も演じる原動力となる 投球を見せました。教職を目指して進んだ国立の静岡大学でも硬式野球を続けました (→野球部のページ)。 負傷による、投手から野手への転向などもありましたが、3年春のリーグ戦後には主将にも就任。 1年間チームを引っ張ってきましたがこのたび、教員採用試験を受けることなどもあり、 春のリーグ戦を終えての引退となりました。
静岡リーグは7大学で構成され、春のリーグ戦で優勝しても三重代表・岐阜代表との プレーオフを勝ち上がらなければ神宮球場での大学選手権に出場できません。 決して平坦な道のりではありませんが静岡大はリーグ内強豪の日本大国際関係学部・ 東海大海洋学部等ともほぼ互角の戦いを展開しております。入学以来神宮を目指し続けた7シーズン、 結局最高戦績はリーグ3位ということで神宮には届きませんでしたが、 峰野氏の7シーズンは多くのものを得られたシーズンだったのではないかと思います。 観戦に訪れた5月12日(月)の静岡理工科大との第1戦では9番指名打者で出場して3打数1安打。 若手の台頭もあって出番に恵まれなかった今季でしたが貴重な1安打を放ちました。
試合後、時間を取って取材に応じていただきました。
(25期・山口陽三編、写真も)
静岡大での野球 | |
山口 | おつかれさま。 |
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峰野 | ありがとうございます。 |
山口 | 何から聞こうか。まずは今季を振り返ってはどう? |
峰野 | 苦しいシーズンでした。出だしで東海大・浜松大に勝ち点を落として。 打線も打てず守備はミスで失点。東海大・浜松大は相性も悪いんです。 終盤にやっとうちらしい野球はできましたが...。 |
山口 | 静岡大らしさとは? |
峰野 | 今は投手が2本柱でそれを中心に守り勝つ野球ですね。 打線は逆方向に打ったり走塁やバントで1点ずつ取っていく野球。 今季は出塁ができずつながりませんでした。 |
山口 | 上の3チーム(日大・東海大・浜松大)との差はない? |
峰野 | そう思ってしまっているのがいけないかもしれません。そこそこいい 試合はするけれど結果的に勝てていない。個々はやはり私学が上。 |
山口 | ふだんの練習なんかはどのように? |
峰野 | 週に休みは1日。4時〜7時半ですが来れるのは人によってバラバラ。 2年生が授業の関係で1番苦しいですね。環境は恵まれないが制約の中で どれだけできるか。僕は光陵のグラウンドでやっていたので静岡大で のびのび外野ノックができるだけでも幸せととらえています。 |
静岡リーグ | |
山口 | 縁あって静岡リーグでプレーすることになったけれどそれについては? 東京六大学などとだいぶ違うけれど。 |
峰野 | このリーグでやったこと自体はよかったと思っています。 確かに東京六大学や東都のように華やかじゃなくて地味。 でも中央球界でやりたいけれどできなかった、いい選手が けっこう集まっている。真剣に上を目指して戦っている。 レベルで劣っているとは思っていません。 |
山口 | 俺も似ている環境(東京新大学リーグ)だからわかるよ。 逆に六大学などでできなかった経験が無名リーグでできた、とも とらえている。学生中心で作っていくリーグ運営、陽の目を見ない 中でも真剣に戦う姿勢...。あとは入れ替え戦を体験できたのもよかった。 本当は光陵の卒業生にもっと大学で野球を続けてほしい。 強いところや有名なところじゃなくても。 |
峰野 | 確かに少ないですよね。大学で野球をやる卒業生が。 |
主将として | |
山口 | 高校時代はエースという立場、大学では今度は主将という立場。 違いは大きいと思うけれどどちらが自分には合う? |
峰野 | 性格は投手タイプ。自分がちゃんとやりたいタイプ。周りをやらせるのは 苦手なので行動を見せるしかないと思ってやってきました。 まとめ方に物足りなさも感じましたが主将はいい経験になりました。 ゆくゆくは高校野球を指導したいと思っているので。 |
山口 | 今日の試合はまとまっていたように見えたよ。 |
峰野 | 堅苦しいのはイヤ。リラックス状態の方が力を出せる。ベンチを明るく することを心がけてきました。「一瞬の心の余裕」を持ちたいと 思っているし、それがいいパフォーマンスにもつながるはず。 |
山口 | それはいつごろからそういうふうに考えるようになったの? |
峰野 | 37期の雰囲気ですね。個々にも力があったチームだと思いますが 野球を楽しんでいたチームでもありました。ピンチでもプレッシャーを 楽しめるような。 |
山口 | 峰野の原点は37期なんだね。 |
峰野 | そうですね。支えになっている。高校もメスを入れたりして1年秋〜2年夏 までプレーできず、楽しくなかったはずだけど楽しかった。 高校でちょっとしかできなかったから大学でやりたかったというのも あります。 (高校)1年のとき、練習試合であまり勝てなかった時期があって、でも 自分たちの代は勝とうって話し合って、ランニングとか声の出し方 から変えたりもしました。 |
進路 | |
山口 | 4年生ということで進路を考える時期だろうけれど? |
峰野 | はい。神奈川の高校の数学の教師を目指して7月に採用試験を受けます。 |
山口 | 理想の教師像、なんてある? 数学で蘇武さん、さっき言っていた高校野球の 指導者で言えば、静岡出身で国立大を出て教師になった長束さん、あるいは 前監督の杉山さんなど、いるけれど。 |
峰野 | 面接で聞かれるでしょうね。楽しいとか親しまれるとかより、生徒が結果的に ステップアップできるか、が教師の価値かと思います。厳しいことを言って 嫌われる教師であっても、結果的に生徒はステップアップできるかもしれない。 |
山口 | なるほどね。野球の指導者としては? |
峰野 | 勝つための野球をやりたい。プロセスが大事とかがんばったからいい、という 考え方もあるけれど、あくまで結果を求めてのプロセスであって、 目標を目標で終わらせてはいけない。 また、部活動は教育の一環という話もあるけれど、それならばトーナメントでは 機会が均等ではなくて、どこかおかしい。 やはり、勝つためにやりたい。上を目指してやらせたい。 理想像があるとすれば父(謙次氏。昭和51年夏、学生監督として多摩高校を 率いてベスト4)。 小さいころ、どこにいっても「お父さんすごかったんだよ」と言われて、 それが自分が高校野球の指導者になりたいと思う動機にもなっています。 目標は、公立50年の壁を超えての優勝です。 |
注:この日、お父様も横浜から観戦に駆けつけておりました。 | |
1番印象に残る試合 | |
山口 | 野球は大学で最後? |
峰野 | 指導はしていきたいですがプレーとしては最後ですかね。 37期で草野球チームなんか作りたいですけどね。 |
山口 | いいね。29期なんかも作ってるよね。 でもそうすると硬式野球としては最後? |
峰野 | そうですね。 |
山口 | これまでで1番印象に残った試合は? |
峰野 | う〜〜ん。どれか一つは難しいですね。高校で言うなら、 2年秋の桐光戦(2-6)、3年春の光明戦(2-4)。あとは最後の夏の 向上戦(7-5)もですね。父がベスト4で負けたのが向上だった らしいんですよ。因縁がありますね。 |
山口 | 大学では? |
峰野 | 入学してすぐの1年春の日大戦ですね。塚田さん(日大)・杉浦さん (静岡大)の投げ合いはとにかくすごかった。あとは長谷部康平 (愛知工業大-楽天)とオープン戦でやりました。あれはすごかった。 速いし低めにビュンビュン。 |
メッセージなど | |
山口 | 東京六大学でがんばる同期の須黒(立教大)にメッセージがあれば。 |
峰野 | 普段も連絡とっているのでこれと言ってないですが...。 プレイヤーとして神宮に立て、ということですね。 苦しいだろうけれど中途半端であきらめず、神宮に立つための 最善を尽くしてほしいですね。 |
山口 | 長い時間、ありがとう。採用試験、がんばってね。 |
峰野 | こちらこそわざわざ遠いところ、ありがとうございました。 (平日なのにお仕事大丈夫ですか?) 試験勉強、がんばります! |
峰野くん、ひとまずおつかれさま。そして次に向けてがんばってください。
打順を待つ
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中前安打
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盗塁
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味方を迎える
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円陣で声をかける
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横断幕も。客席は閑散。
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試合後に山口と
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