杉山敬一郎氏が監督を退任


(13年間に渡る監督職から身を引く杉山氏)

光陵高校野球部では7月21日付で杉山敬一郎氏が監督から退き、 後任として顧問教官の長束俊尚氏が監督に就任することになりました。 杉山氏はコーチとして今後も部員の指導にあたる予定です。

杉山氏は1985年、光陵高校19期生の代に光陵高校野球部(当時は軟式) にコーチとして招かれ、当時の稲元英生監督を支えてまいりました。 その後、1988年に部は硬式野球部に転向。1990年秋からは稲元氏の異動に あたってコーチから監督に就任いたしました。監督就任後の最初の夏の大会と なった1991年夏(24期)、投攻守に軸を持つバランスの取れたチームを作り上げ、 3回戦では前年の準優勝校・神奈川工業高校も大差で撃破。チームを県ベスト16にまで 導きました(「県大会ベスト16」「夏の大会の3勝」は現在まで破られておらず、 「シード校打倒」はこの1回を除いて現在まで果たされておりません。)。

会社員として日常業務をこなす中で、休日だけの指導というハンデはありましたが 選手の自主性を重んじる指導方針で着実に光陵高校野球部を成長させて まいりました。1991年夏のベスト16以後も、1996年春(29期)にベスト16進出を果たして 同年夏の大会に初のシード校(第3シード)として臨み、当時の活躍は スポーツ新聞にて「公立校の鑑」と賛嘆されました。13年間の監督生活での 成績は公式戦67勝59敗2分、最高戦績は2度の県大会ベスト16。東京六大学リーグ 等にも好選手を輩出した実績も含め、その実績は高く評価されます。

18年にわたって光陵高校野球部にご尽力いただき、特に硬式転向間もない ところから着実に部のステップアップを実現いただきました。卒業生及び 父母の方々の信頼も厚く、光陵高校野球部にとって欠くことのできない存在と なっておりますが、この度惜しまれつつも監督の座を退くこととなりました。

杉山氏への一問一答と、卒業生数名のコメントを掲載いたします。


−今回の一件の経緯は?
「4月から長束先生が異動されてきて、土日しか面倒を見られない私が監督を 続けるよりも長束先生にお任せしたいということを考えていた。 責任うんぬんということを言うつもりはないが、直接的には今夏に 大和西高校に0-10の大敗をしてしまったことも、一つの区切りというふうに考えた。」

−思い出は?
「やはり、監督として最初の夏の大会でいきなりベスト16まで進んだこと。 あとは春にベスト16まで進んで夏の大会に第3シード校として臨むことが できたこと(1996年)も思い出深い。

ただし、勝敗だけが思い出というわけでもなく、各学年それぞれにいろいろな 思い出がある。選手・マネージャーによくしてもらえたと思うし、 いろいろな感動をもらうことができて感謝している。」

−熱心にご声援いただける父母の方々にもメッセージがあれば?
「週に二日しか来られない私に大事なお子さんを預けてもらい、 多方面からご支援・ご声援をいただけたことは筆舌に尽くしがたい。 本当に感謝している。」


「私が入部した当時は杉山さんも確か30歳になるかならないかぐらいの年齢で私たちに とって、良き兄貴分的存在でした。特に1年の夏合宿では、夜遅くまで一緒に洗濯の 順番を待っている間、色々な話をしていた事を今でも覚えています(当然野球以外の話・・・・)。
硬式に転向したばかり、なおかつ、野球部を取り巻く環境が整っていない中、手探り の状態でコツコツと光陵野球部の基礎を築き上げ、私が3年の夏にベスト16という 快挙を成し遂げたのは、ひとえに杉山さんのおかげであると、当時のメンバーをはじ め、その父兄までも含め、確信しているはずです。
長年にわたり監督を努めて頂き、当時の部員および関係者を代表しまして心より御礼 申し上げます。ありがとうございました、そしてお疲れ様でした。」
(24期主将・清水郷史氏。史上最高戦績・ベスト16を残したときの主将)

「18年間おつかれさまでした。今年の3年生が産まれた頃から光陵を指導して下 さっていたってことですよね。長い間ありがとうございました。OB、選手、マ ネージャー、先生方と良くコミュニケーションをとってチームを推進して下さっ ていた姿が非常に印象的でした。 はっきりいって小粒揃いの25期メンバーでも、夏の大会に1勝できたこと、みん なと一緒に日々試行錯誤ながら練習してきたこと、結婚式で顔をあわせることが 多くなった最近ではすごく良い思い出です。もちろんその思い出の中には杉山さ んの姿もたくさんあります。今後も良きチームメンバーとしてお付き合いして下 さいね。」
(25期・福海賢一郎氏。卒業後はOB会の役員としても活躍)

「杉山監督は光陵高校野球部の硬式の基礎を築いていただいた人だと思っています。 杉山監督あっての光陵高校野球部だと思っています。 心から感謝していますし、今回の退任を残念に思っています。長い間、 おつかれさまでした。」
(29期・高村直孝氏。大学時代にはコーチとして杉山監督を支える)

「杉山さんは部員に対して上から見下ろすのでなく、部員と共に野球を勉強し、 そして部員と共に成長していく、そんな監督さんだったと思います。 今後ともコーチとして野球部の発展にお力添えをしていただけるということで、 私たち杉山時代のOBも杉山さんを通じて野球部に関わり続けることが出来るのだと思うと、 いかに杉山さんの存在が光陵野球部にとって大きなものか実感しています。 長い間の監督業、本当にお疲れ様でした。」
(31期主将・上原信太郎氏。松坂世代の主将)


(2003年8月9日、25期・山口編)